20.
古都ビガン
作:Gerald Cacas
古都ビガン
作:Gerald Cacas
私の大好きな作品の一つである。
〈写真@〉

ビガンは、フィリピン共和国ルソン島北部の古い港町である。
〈画像@〉

(画像引用元=Wikipedia日本語版より『ビガン』)
※ 画像クリックで引用元に遷移。
スペイン領となった16世紀以降、
マニラとアカプルコ(メキシコ)を結ぶガレオン貿易の拠点となり繁栄した。
当時の名は、シウダー・フェルナンディナ(スペイン語で『フェルナンドの都』)という。
スペイン王フェリペ二世の夭折した息子・フェルナンドを偲んで名付けられたという。
この町は日本とも関係が深い。
大東亜大戦当時、フィリピンは日本の占領下にあると同時に、
それ故に南方戦線の激戦地の一つとなった。
アメリカの進撃に敗走を重ね背水の陣の日本軍に対し、
軍司令部は、ビガンの町を焼き払って撤退し、
山中でのゲリラ戦に持ち込み、耐えるよう迫ったという。
それに抗命したのが、当時、この町で憲兵隊長を務めていた
タカハシ・フジロウ大尉とナリオカ・サカエ(階級不詳)である。
いずれも現地人女性と結婚し、ビガンに家庭を築いていた。
家族や町の人々、美しい町並みを守るべく、親しいドイツ人司教に全てを託し、
町を傷つけることなく撤退したという。
戦中の日本軍については悪しき側面ばかりが語られるが、
現地の人々のために、身を挺して尽くした軍人のいることも忘れてはならないだろう。
★ ★ ★ ★ ★
作者曰く、
今回の作品は、その中心となるクリソロゴ通りの風景だという。
〈地図〉Googleマップより、ビガン・クリソロゴ通り
現在残る世界遺産の町並みは、
バハイ・ナ・バトと呼ばれる百棟余りの住宅で構成されている。
これは、タガログ語で『石の家』を意味するが、その実態は木骨煉瓦造りである。
Wikipediaをはじめ、その建築に関する特徴をまとめると、
スペイン、中国、ラテンアメリカの建築様式を掛け合わせ、
フィリピンの気候・風土に適した形に仕上げた独特の建築とされる。
確かに建物の構造は西洋建築、所謂、スパニッシュ・コロニアル風の堅牢なものだが、
見る限り、二階の窓は引分け窓や引違い窓で、造りはむしろ障子や舞良戸に似る。
中国古典建築に見られる建具、
例えば隔扇門窗(かくせんもんそう)は基本的に開き戸型である。
専門家の意見に異を唱えるわけではないが、
中国風というよりは、むしろ和風の感じもする。
ビガンが栄えた16世紀には、同じルソン島マニラに日本人町もあったわけで、
そうした影響もあったのではないだろうか(キャプチャ@・A参照)?
〈キャプチャ@〉

〈キャプチャA〉

誤解を恐れずに言えば、
階下にガレージのあるモーテルのような雰囲気である。
が、それは当たらずとも遠からずで、
主に一階は馬小屋、または倉庫として使われていた。
二階以上が居住空間であるという。
★ ★ ★ ★ ★
そうしたことを踏まえて、作品を見てみよう。
冒頭で〈大好きな作品〉と紹介したが、しかし…、
その言葉に偽りはないものの、
正直なところ、その建物の造作については、
世辞にも上手いとは言えないものがある。
制作時にリリースされていたパーツのヴァリエーションにもよるだろうが、
それにしても全体的に解像度が粗く、緻密さを感じない。
屋根や街路に不自然な隙間の目立つことも気になる。
何だか全体的に造りが稚拙なのだ。
〈写真A〉

〈写真B〉

もっとも、町並みの建物自体、それほど丁寧に手入れが行き届いている感じはないので、
多少粗雑な造作に見えても問題はないのだが、しかし、それでも違和感は拭えない。
一番の違和感は、屋根である。
〈写真C〉

赤道直下で雨も殆ど降らないところというならともかく、
熱帯気候特有のスコールや台風など、降水被害の多い地域である。
そんな地域の、伝統的な古い木骨煉瓦建築の建物に陸屋根はありえないだろうに。
しかも、屋根瓦を葺いた陸屋根などというのは寡聞にして知らない。
基本的に、陸屋根は水はけが悪く、まして木造では維持が非常に難しい。
忽ち雨漏りするだろうし、溜まった雨水の浸潤による木骨の腐敗も免れないだろう。
事実、Google mapの航空写真モードで、クリソロゴ通りを俯瞰すると、
傾斜のついた寄棟の屋根を幾棟も観察することが出来る(キャプチャB参照)。
〈キャプチャB〉

実際、交差点の一隅から彼岸の建物を見ると、
やはり屋根に勾配がついていることが確認出来る。
〈キャプチャC〉

屋上が陸屋根でテラスになっている建物もないわけではないが、少ない。
おそらくそうした建物は、近年建てられたものだろう。
陸屋根の建物の多くは鉄筋コンクリート建築である。
近年では木造でも陸屋根の建物があるが、
それも最新の漏水対策技術があってこそのものである。
★ ★ ★ ★ ★
もっとも…
以前、世界遺産展にも出品された日高雅夫氏から聞いた話だが、
世界遺産展の作品制作の難しさは、一つに作る対象の情報量によるという。
イタリアやフランスのように、
有名都市、有名観光地のものはネットにいくらでも情報が並ぶが、
そもそもが治安が悪く行きにくい場所やマイナーなものは、
どうしても情報が少なくなる傾向にある。
仮に情報が少なくとも、平泉や高野山のように国内ならば自ら取材にいけるが、
それが遠く離れた異国の地ともなれば、それも適わない。
この作品についても、そうした事情があったのかもしれない。
★ ★ ★ ★ ★
しかしながら、
それでもなお私が愛して病まないのはその街路の造りである。
実際の街路は、こんなにカラフルではない。
確かに、よく観察すると灰色を基調にほんのり青や黄色、赤といった色彩を感じることは出来るが、
しかしレゴで割り切るならやはり灰色で統一するところと考える。
読者諸氏はどう考えるだろうか?
〈キャプチャD〉

〈キャプチャE〉

〈キャプチャF〉

だが作者は、灰色で割り切ることはしなかった。
それぞれの色を過度に強調する方向に舵を切ったのである。
〈写真D〉

〈写真E〉

〈写真F〉

スコールが去った後の晴れ間、
水たまりに青空が映り、雲が映り、建物が映り…、
そうした生活の情景がキラキラと散らばって街路を作っているように私には見えた。
清々しさともに、東南アジア特有の熱気や湿度なども感じられて心地良い。
不思議とじっと見ていられる作品である。
作者がそこまで意図したものであるかは定かではないが、
その点は高く高く評価すべきだろう。
普通なら躊躇するところだが、こうした大胆な割り切り方も面白い。
どこかで取り入れてみたいものである。
註※
写真@〜Fは筆者が撮影した。
また、キャプチャ@〜Fは、いずれもGoogleマップ、ストリート・ビューの画像よりスクリーンショットで切り取り、必要最小限の編集を加えた。