2018年03月22日

レゴ世界遺産展探訪4−1

★ 日本編 4−1 ★

前回の続き、

★ ★ ★ ★ ★

6.
『琉球王国のグスク及び関連遺産群』より
首里城
作:伊藤剛
監修:直江和由


〈画像〉
Naha Shuri Castle16s5s3200
(画像引用元=Wikipedia日本語版より『首里城』 、ウィキメディア経由)
※画像クリックで引用元に遷移。

グスクとは琉球方言で主に〈城〉を表すとされるが、
他に〈聖域〉やそれを中心とする〈集落〉などを意味するとも考えられる言葉である。
首里城は琉球王国最大のグスクである。
築城は14世紀末頃。
琉球統一を果たした第一尚氏、及び第二尚氏一族の居城とし、
19世紀末まで約500年に亘り活用された。
詳細は省くが、現在建つ正殿や守礼門などは全て戦後の再建によるものである。
世界遺産登録された首里城とは、より正確にはそれら再建建造物を除く遺構の部分を指す。

     ★ ★ ★ ★ ★

…などと固いことは言わず、首里城正殿。
見所の多い建物である。通好みの技術が随所に使われている。
今回は、屋根だけ語る。

〈写真@〉
首里城1.jpg

建物は二層になっている。
屋根は、入母屋造りで緩い照りを持つ。
垂木の配置は、素人判断だが見る限り、二軒半繁垂木(ふたのきはんしげだるき/半繁垂木とは、大雑把に言えば繁垂木ほど間隔が密で無い構えのこと)。
初層の屋根には正面中央に唐破風(からはふ)が設けられている。

〈写真A〉
首里城7.jpg

〈写真B〉
首里城5.jpg

実物に使われている瓦は、琉球赤瓦(りゅうきゅうあかがわら)という沖縄独特のものである。
赤は酸化鉄由来の色で、18世紀頃から主流となった。
瓦は、丸瓦にあたる雄瓦(ウーガーラ)と平瓦にあたる雌瓦(ミーガーラ)の二種類。
まず、屋根面に軒先から大棟(おおむね/屋根を山に喩えると棟は尾根に当たる部分だが、その中でも最も高い部分を大棟という)に向けて垂直に雌瓦を重ねながら敷き詰める。
隣り合う雌瓦同士の境目を跨ぐように雄瓦を垂直に並べ、白漆喰で塗り固める。
これは、台風など強風による被害から守るための知恵である。
そのため、その仕上がりは赤と白のコントラストが美しい外観となる。

〈写真C〉
首里城10.jpg

この作品の屋根は、この規模だからこそ出来る組み方をしている。
屋根は、1x1円筒ブロックと白の1x1ラウンドプレートを交互に繋ぎ、
一本の棒状にしたものを横に倒して赤瓦と見立てる。
それを何本も並べて屋根とする。

軒先から大棟までかなりの距離をわたすとなると、
それなりに棒は長くなる。
しかし、それだけ距離がある分、線のしなりを作りやすいので、
照り屋根の持つなだらかで自然な曲線を無理なく描くことが出来る。
屋根の仕上がりが美しいのは、そのためだ。

ただこのやりかたは、特に規模の大きな作品でやるにはデメリットがありすぎる。
一つに、当たり前だが、パーツの消費量が半端ない。
二つ、パーツ同士が一ポッチ接続になるため脆く、
三つ、またそれなりの長さがあるので一本当たり相当の重量となる。
多分そのまま作ると、荷重だけで屋根が撓んで崩落するだろう。
が、そうならないように、
よく見ると、瓦の下に目立たないよう赤のプレートが支えとして敷いてある。
実際の屋根は、屋根の傾きに沿って野地板を敷き、そのうえに瓦を並べるが、
そういう意味では実際とよく似た工法であると言えるかもしれない。
その野地板部分も裏に梁や桁を組んでかなり頑丈に組んでいるはずだ。
そういう表からは見えない部分にコストがかかる。これが四つめ。
少なくとも外から依頼があり、
高額の制作費が出ると判って初めて考えられる贅沢な工法と言える。

もっとも、モジュールタウンシリーズ程度の規模で、
あまり広い面をカバーしないというならそこまで難しいことはないだろう。
十分応用可能な技術であることは間違いない。

     ★ ★ ★ ★ ★

細かく見ていく。
初層部の屋根。
この建物の屋根は、初層も二層も四隅が軽くめくれている。
その部分の表現にこの作者はヒンジを用いている。
屋根の微妙な照りは、これを僅かに開いて傾けることで作っているようだ。

〈写真D〉
首里城6.jpg

〈写真E〉二層目側面の角もこの方法で照りを表現。
首里城8.jpg

再び初層へ。
正面中央の唐破風だが、装飾が見事だ。

〈写真F〉
首里城11.jpg

唐破風部分を上から見る。
唐破風の隅棟や掛け瓦の作り方、
屋根面と屋根面の交差して出来る谷の部分の処理の仕方など見所が多い。

〈写真G〉
首里城12.jpg

続いて二層目。
注目点は、側面の入母屋破風(いりもやはふ)の作り方。
隅棟の作り方は勿論、いろいろ見所がある。

〈写真H〉
首里城2.jpg

入母屋破風の掛け瓦の造作が面白い。
斜めに下っているが、
会場で見たときは、この傾斜をどう作ったのかよく判らなかった。
撮った写真を元に、改めて作り方を考える。

〈写真I〉
首里城3.jpg

〈写真J〉
首里城4.jpg

裏を覗くと、どうやら赤と黒のヒンジを使っているようだ。
正確なところは判らないが、多分、以下の旧式のヒンジだろう。
〈図@〉
首里城入母屋1.jpg
とすると、以下のように瓦は作ってあるのだろう。
〈図A〉
首里城入母屋2.jpg
〈図B〉
首里城入母屋3.jpg
覗き込んだときと同じ構図に置いてみる。
我ながらよく似ていると思う。が、どうだろう?
〈図C〉
首里城入母屋4.jpg

旧式のヒンジパーツは、プレート一枚分の厚みで接続が出来るという優れ物にもかかわらず、
いつの間にか廃れてしまった。是非とも再販して欲しいパーツだ。
今ではまとめて手に入れるには困難故、上のような組み方をそのまま再現するのは難しい。
だが、こうした作り方は何かしら応用できそうな気はする。

今回はここまで、次回は建具編。

註※ 写真@〜Jは全て筆者撮影。図@〜Cは筆者がLDDで作図した。


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レゴ世界遺産展探訪3

★ 日本編 3 ★

前回の続き、
今回は故・直江和由氏の三作品より主に屋根の造作を中心に。
これらの作品について言えることは、どれも特に奇を衒ったところはない。
王道を行く造作と言うべきか、極めてシンプルな組み方で出来ている。
寺社建築、町家などを手がけようと考えている建物ビルダー初心者は、
いい参考になるかもしれない。

★ ★ ★ ★ ★

3.
『古都京都の文化財』より
鹿苑寺金閣
作:直江和由

〈画像@〉
Kinkakuji 2004-09-21
(画像引用元=Wikipedia日本語版より『鹿苑寺』、ウィキメディア経由)
※画像クリックで引用元に遷移。

鹿苑寺は、応永4年(1397年)創建。
京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺である。
もともとは、室町幕府第三代将軍・足利義満公の山荘として開かれ、
その死後、彼の遺言により禅寺となった。

金閣とは通称で、正確には舎利殿(ブッダの遺骨、またはその代用品〈例として、
その遺骨が収められたストゥーパの前で浄められた貴石など〉を収めた建物)と呼ばれる。
昭和25年(1950年)、同寺の修行僧の放火により焼失。
現在の金閣は、昭和30年(1955年)に再建されたもの。

〈写真@〉
金閣寺1.jpg

実際の建物について、
屋根は、柿葺き(こけらぶき)、方形造(ほうぎょうづくり/宝形とも書く)。
組物は、柱上のみ。垂木は疎に配置されているため、
野地板(屋根の下地となる板)が目立つ。
建物の造作自体は簡素だが、
これらすべてに金箔が隙間なく貼られているため、見た目は華美である。

作品を下から覗くと判るが、
直江氏は、これをプレートの積分で表現している。

〈写真A〉
金閣寺2.jpg

〈写真B〉
金閣寺3.jpg

方形屋根の四隅は軽くめくれ上がっているが、
これもプレートの積分で表現。
やはり、この規模のものとなると単純な積分で対処するのが楽だろう。

この作品で一つ注目すべき点は、蔀(しとみ)の作り方。
大学受験の古文必修単語であるため知っている人も多かろう。
蔀とは、桟を格子状に組み裏に布や板を張った戸である。長押に蝶番で固定されており、開放するときは戸を引き上げて吊金具などにひっかけて用いる。
〈画像A〉
G322-HR07-14
(画像引用元=Wikipedia日本語版より『蔀』、ウィキメディア経由)
※画像クリックで引用元に遷移。

直江氏は、この蔀を以下のように表現している。

〈写真C〉以下の二枚は初層部分。
金閣寺・蔀1.jpg
〈写真D〉
金閣寺・蔀2.jpg

〈写真E〉二層目の一隅。
金閣寺・蔀3.jpg

これらの蔀はいずれも、1x1プレートの裏面を利用して再現している。
〈図@〉
蔀1.jpg
1x1プレートを並べ、
任意の大きさのプレートに貼り付け裏返して立てると、蔀が出来る。
〈図A〉
蔀2.jpg

このやり方は、蔀の他、格子状の壁面装飾にも応用できる。
特に和建築は格子を多用するので覚えておくといい技である。

★ ★ ★ ★ ★

4.
『平泉‐仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群』より
中尊寺金色堂
作:直江和由

〈写真F〉
中尊寺金色堂・実物.jpg

岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺。
諸説あるが伝承によると、創建は嘉祥3年(850年)、慈覚大師による。
金色堂は平安後期、天治元年(1124年)、奥州藤原氏初代当主・清衡(きよひら)により
建立された阿弥陀堂だ。
その頃、浄土信仰の隆盛により日本各地に阿弥陀堂が造営されたが、
これもそのうちの一つである。
延暦寺常行堂の造りをモデルとした、一間四面の典型的な阿弥陀堂建築である。

内陣には、本尊である阿弥陀三尊像を含む11体の仏像の他、
清衡、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)と三代に亘るミイラ、
及び、四代当主・泰衡(やすひら)の首が祀られていることで知られている。

建物は、現在、全体をすっぽりと覆う鉄筋コンクリート造りの覆堂(ふくどう)に
収められている。覆堂内部は巨大なガラス張りのケースになっており、
金色の堂宇はその中で一定の温度・湿度のもと管理されている。

屋根は、鳥が翼を広げたような優美な照りを伴う方形造。
本瓦形板葺きだが、これは文字通り、
瓦形にカットした板を並べて屋根としたもので国内でも珍しい。

〈写真G〉
中尊寺金色堂1.jpg

〈写真H〉
中尊寺金色堂2.jpg

方形屋根を支える骨組みは、二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)。
これをプレートの積分で表現。
さすがにこの規模でやると、垂木の線が美しい。
古典音楽の旋律に似た精密な美しさがある。

〈写真I〉
中尊寺金色堂3.jpg

屋根もまた、プレートの積分による。
先の金閣は単純積分のみであったが、
こちらは隅棟(すみむね/屋根面同士が山折りに接している部分、降棟〈くだりむね〉とも)に熨斗瓦(のしがわら)と冠瓦(かんむりがわら)が葺いてある。

★ ★ ★ ★ ★

5.
『法隆寺地域の仏教建造物』より
法隆寺五重塔
作:直江和由

〈画像B〉
Horyu-ji48n4350
(画像引用元=Wikipedia日本語版より『法隆寺』、ウィキメディア経由)
※画像クリックで引用元に遷移。

聖徳宗総本山法隆寺は、言わずと知れた奈良の名刹である。
創建は、推古天皇15年(607年)頃。
五重塔は、その西院伽藍に建つ塔で、
現存木造五重塔としては世界最古のものである。

〈写真J〉
法隆寺1.jpg

こちらの屋根の造りは、単純積分ではなく、
ヒンジとウィングプレートを活用して造っている。
このやり方で屋根を組む場合、傾斜面同士の辻褄合わせが難しい。
傾きに合ったウィングプレートはなかなかないので、
傾き次第ではどうしても不自然な隙間が出来てしまう。
これが目立つと見た目が非常に汚らしいので、
隅棟(すみむね)を設えて上手く隠す必要がある。
この処理の仕方も見ておくべき点である。

先の金色堂、前回の東照宮、前々回の金剛峯寺のほか、
隅棟のある屋根をもつ建物が会場内にいくつかあるが、
それらの作り方を個別に比較して見るのも面白ろかろう。

〈写真K〉
法隆寺2.jpg

下から覗く。
繁垂木、柱から延びる尾垂木(おだるき)、雲肘木(くもひじき)の組物など、
地味だが見所は多い。

次回に続く。

註※ 写真@〜Kは、全て筆者が撮影した。図@Aは、筆者がLDDで作図した。
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2018年03月21日

レゴ世界遺産展探訪2

★ 日本編 2 ★

前回の続き、

★ ★ ★ ★ ★

2.
『日光の社寺』より、
日光東照宮陽明門
作:ルーカス・フィルマン

日光東照宮は、栃木県日光市に所在する社寺である。
江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。
国宝・陽明門は、柱や壁、梁の一本に至るまで隙間なく彫刻や壁画の施された極彩色の門である。

〈写真@〉実際の日光東照宮・陽明門
日光東照宮.jpg

〈写真A〉
日光東照宮2.jpg

〈写真B〉
日光東照宮3.jpg

〈写真C〉
日光東照宮4.jpg

〈写真D〉
日光東照宮5.jpg

こうしたものを、作者ルーカス・フィルマン氏は以下のような形に落とし込む。

     ★ ★ ★ ★ ★

まず、全体について言えば、一見非常によくできている。
含みのある表現だが、この点はあとで詳述する。
黄色みが強いが、これは致し方なかろう。
実際の建物には随所に鍍金や錺金具(かざりかなぐ)が施され、金ピカだが、
レゴの場合、まず金色の基本パーツが充実しているとは決して言えない。
黄色で代用せざるをえないのが実情だからだ。

〈写真E〉
東照宮1.jpg

門の正面下層には、通路の両側に一対の随身座像が坐す。
随身とは、左右近衛府に籍を置く、皇族や貴族などの要人警護を司る舎人(とねり)のことである。
現代に当てはめるなら、皇宮警察、或いは警視庁警備部所属のSPといったところか。

〈写真F〉
東照宮2.jpg

〈写真G〉実際の写真。
日光東照宮6.jpg

実物の屋根は、基本的に禅宗様の軒の広い入母屋だが、
東西南北四面に唐破風を配している。
瓦は、黒漆で彩色を施した銅瓦という大変高価なものだ。
屋根自体が非常に重いため、その荷重を分散するべく、
多くの組物(くみもの)が用いられている。

組物とは、上からの荷重を支える肘木(ひじき)或いは栱(きょう)と呼ばれる横木と、
桁や肘木を受ける方形の斗(ます)で構成されたものだ(写真H・I参照)。
この組物は基本的に柱上に設けられるものだが、
柱と柱の間に設けられるものもあり、こうしたものを詰組(つめぐみ)という。
また、柱から外に飛び出した部分を手先と呼ぶ。
この手先を2段、3段と重ねたものをそれぞれ二手先、三手先と呼ぶ。
それだけ軒が広く大きくなる。
陽明門の場合、組物は詰組に配置され、下層が四手先、上層部が三手先である。

〈写真H〉実際の組物
日光東照宮7.jpg
〈写真I〉
日光東照宮9.jpg

この組物による手先部分は、
プレートや1x1x 2/3のスロープ(所謂、ポチスロ)など細かい部品を組み合わせたうえ、
その天地を逆にしたものを積んで再現している。非常に細かい作業だ。

〈写真J〉
東照宮8.jpg

内部の構造について正確にはわからないが、
組物部分は大凡、以下のように工作したのだろう。

〈図@〉組物の最上段部分は、両側ポッチと1x1x1のビームを使用。
組物1.jpg
〈図A〉以下のようなパーツ構成で組み合わせ。
組物2.jpg
〈図B〉天地を逆転させて固定。
組物3.jpg
但し、そうすると赤で着色した部分はどこにも固定できないことになる(図C参照)。
事実、その上部のパーツと組み合わせられる状態にない。
多分、接着剤で両側ポッチブロックの側面に貼り付けたのではないか?
〈図C〉
組物4.jpg

続いて屋根。
垂木は、二軒繁垂木(ふたのきしげだるき/繁垂木とは垂木を密に並べたもので、これを上下二段に配したもの)で扇垂木(おおぎたるき/垂木を扇の骨のように放射状に配したもの)に構える。
これらの垂木には、鍍金が施されて金ピカだ。
レゴでは、その部分は、黄色の丸棒やカットしたパイプを並べて再現している。
こういうやり方は初めて見た。

〈写真K〉
東照宮5.jpg

驚くべきは、唐破風の裏の弓なりに反った梁。
これを黄色のパイプを曲げて成形したものをクリップで固定して再現している。

唐破風の中央に飾られる懸魚(げぎょ)のことを兎の毛通し(うのけどおし)というが、
この部分はパーツの付き方がおかしい。
どうやらポチスロを逆さにして、接着剤で強引に接着、固定したようだ。
正直、これについてもあまりいい手とは言えない。

〈写真L〉
東照宮6.jpg

〈写真M〉
東照宮9.jpg

屋根は実際には黒だが、
経年劣化や日の当たり方などで灰色っぽく見えることもあろう。
作者は、新灰のプレートを用いているがそれもありだろう。
プレートの積分により繊細な照りを再現している。

〈写真N〉
東照宮10.jpg

〈写真O〉
東照宮11.jpg

〈写真P〉
東照宮12.jpg

最後に床面。
タイルを菱形に敷き詰めるのは、なかなか手間だ。
裏にプレートを当てて成形しないといけないので、地味にパーツを消費する。
特に事情がない限り、個人的にはあまりやりたくない手法である。

〈写真Q〉
東照宮3.jpg

〈写真R〉
東照宮4.jpg

まとめ。
接着剤を多用している嫌いがあり、そのあたりは賛否両論あるだろう。
ただ学ぶところも多い作品である。
接着剤でお茶を濁した部分も、
自分ならどうするだろうか、と考えるのもなかなか楽しいものである。

次回に続く、

註※ 写真は全て筆者撮影。図もLDDで筆者が作図した。
posted by KM at 18:00| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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