今回は建物編。
私の作品について、車両を除く他の要素については特にモデルはない。
対象とする都市の歴史を調べ、
Googleストリートビューで町中を歩き回り、
その建築の特徴を洗い出し、
その要素を組み合わせて独自のものを作るというのが私のやり方である。
今回の作品も、そのやり方で建築した。
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イギリスは地震災害が少ない所為か、
100年を超える建物が現存、かつ現役で使用されていることが少なくない。
ロンドン市中もご多分に漏れずそうした建物で溢れている。
ロンドンの建築の特徴は何と言っても赤煉瓦であるが、
調べてみるとその歴史は1666年のロンドン大火まで遡る。
一軒のパン屋の失火から始まった火災は、燎原の火の如くロンドン市中に燃え広がり、
4昼夜に亘り町を焼き尽くた。
この大火による死者は記録によると5人(または6人とも)。家屋約1万3000余りが全焼した。
これは市の約85パーセントに相当する。
被災した家屋はいずれも木造であった。
こうしたことから、翌1667年に制定された再建法により、
建築はレンガまたは石造と定められた。
現在のロンドンがレンガ建築で溢れているのは、そのためである。
レンガ建築も300年の歴史があれば、当然、時代ごとにスタイルも異なる。
詳しくは、こちらのブログ→エンドウ・アソシエイツ加藤峯男の無陸
を参照していただきたい。
そうした建築様式の中から、
今回は、造りの華やかな19世紀末ヴィクトリア様式のタウンハウスをモデルとした。
立地は角地。
イギリスというと喫茶の文化を連想したので、
グランドフロア(便宜上以下GF、日本の建築では一階部分に相当)はカフェとした。
まずこれだけ決めて、Googleストリートビューを開く。
そうして出来上がったものが、以下のものである(写真G参照)。
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〈写真G〉
使用した色は、タン、茶、エンジ、オレンジ、ダークタン、紺の5色。
建物の壁面のレンガ部分は、主に1x2プレートと1x1プレートの積み上げで出来ている。
赤煉瓦だからといって、茶色のプレートだけ積み上げると単調な仕上がりになってしまう。
実際の建物をよくみると判るが、
赤煉瓦も風化により壁面が削れ、また汚れて黄色っぽく変色する。
目地材の色も時には目立ち、光線の加減に拠っては青みを帯びた陰影も生じる。
そうした印象をもとに、5色のプレートを点描画風に効果的に配置すると、
遠目にも立派な古いタウンハウスとなる。
第1フロアと第2フロア(日本では各々2階及び3階部分に相当。以下、便宜上1F、2F)
との間には、街路に向けて大きなランタンが吊されている。
ロンドンの角地では時にこうした建物を見かける。
交差点角のゼブラ模様の信号機は、
1960年代当時、実際、ロンドンで用いられていたデザインのものである。
あまり目立たない割りに作るのが手間だったのが直交する二つの道路。
広い道はバスを置く車道部分のためアスファルト舗装、
脇の細い路地部分は石畳、とそれぞれ様子を変えている。
いずれも横方向の積分を複雑に組み合わせて作っているが、
この手間の具合に気づく人はそういない。
道路上の白い点線は、横断歩道である。
これは、ペリカン・クロッシングと呼ばれるイギリス独自のもので、
要は、押しボタン式信号機を伴った横断歩道のことを指す。
ここでのペリカンとは、鳥ではなく、
"PEdestrian LIght CONtrolled(歩行者信号制御方式)"の略である。
各単語の太字部分の音を並べると、ペリカンと同じであるためそう呼ばれているそうだ。
ちなみに…、
これは作ってから知ったことなのだが、
信号機のデザインに惹かれてこの横断歩道を採用したのはいいが、
この歩道の登場は1969年だった。
時代設定を1960年代、ビートルズ真っ只中の時代としておきながら、
実は末期だったことが後になって発覚した。
さらに歴史を紐解くと翌70年、ビートルズ解散。71年、MkV完全廃車と続く。
現実に、こうした要素が一つに溶け合い、一つの風景を作ったとすれば、
一年あるかないかの間だったということになる。
次回、内装編。