2018年11月16日

レゴ世界遺産展探訪15−1

★ アジア編6−1 ★

21.
『古代都市スコタイと周辺の古代都市群』
より
ワット・ソラサック
作:Xylvie Wong

〈画像〉
201312161616a Sukothai, Wat Sorasan
(画像引用元=Wikimedia commonsより"Wat Sorasan")
※ 画像クリックで引用元に遷移。

その王国の名であるスコタイは、スカ・ウダヤ(”sukha udaya”)というサンスクリット語がタイ語に転訛したものである。意味は、「幸福の夜明け」。
スコタイ王国は、13世紀、現在のタイ王国北部スコータイ県辺りに誕生した小タイ族の国である。
小タイ族とは、メコン川からチャオプラヤ川にかけての中央平原部に暮らしていた民族で、狭義では所謂シャム人を指す。タイの主要民族の一つだ。

スコタイ以前、小タイ族は、インドシナ半島を広く納めていたアンコール王朝(クメール人の国)の支配下にあったが、ジャヤーヴァルマン7世の崩御に伴い国が弱体化したのを機に蜂起。クメール人を追い出し、建国に至った。

国の統治は独特である。
〈ポークン〉という理想的君主像に基づく父権主義統治である。
即ち、王は家族を守る良き父親のように振る舞い統治する、というのがこの国の統治スタイルだった。このことは、第3代国王ラームカムヘーンの遺した『ラームカムヘーン大王碑文』に詳しい。
ほぼ全ての業務を王一人が担っていたという。
王が公明正大な法廷を開き、住民の悩みを訊き、大岡裁きを行っていた。配下の臣民とは個人的につながることで連帯を保ち、周辺国との外交、商取引も個人的な情によるつながりによるものだった、などなど。領域内には、複数のムアンと呼ばれる都市があったが、いずれもこうした方法による統治が行われていたという。このような緩い統治が可能だったのは、それぞれ住民の少ない都市だったからだと言われている。もっともこうした平和的、牧歌的な支配体制は、王の崩御と共に急激に弱体化する原因ともなった。多くのことが個人的な繋がりで成り立っていた以上、その個人が亡くなれば周囲との関係が全て解消されるのも当然である。

スコタイで仏教が広まったきっかけは、一つにラームカムヘーンがセイロン(現、スリランカ)の上座部仏教に感化され信仰を始めたこともあるが、第6代リタイ王が国の弱体化に歯止めをかけるべくそうした仏法を導入したこともまた大きい。彼は、一人の求道者として出家もしたことから仏法王とも呼ばれている。こうした環境の中で、スコタイ様式という独特の仏教美術や建築の文化が花開いた。今回の作品であるワット・ソラサックもその一つである。

     ★ ★ ★ ★ ★

ということでようやく本題。

〈写真@〉
ワット・ソラサック8.jpg

…と行きたいところだが、今回はここまで。

東南アジア史は、少数民族の離合集散による国家の乱立衰退が激しいうえ、文化的にも判りづらいところだから説明だけで大変…。

註※
写真@は筆者が撮影した。


posted by KM at 08:00| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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