2017年07月18日

クリブリコンテスト出品作品(7-1)

久しぶりのブログ更新。
前回、2013年制作のコンテスト作品について書いた。
順番ならば、2014年参加分について書くところだが、
今回は順番を違えて、2015年夏のコンテスト参加作品について記述する。

          ★ ★ ★ ★ ★

タイトル:後祭宵山圖(あとまつりよいやまず)
サイズ:20ポッチ(W) x 20ポッチ(D) x 30センチ(H)
制作:2015年・夏
備考:クリブリコンテスト2015 in Summer 第2位入賞

〈写真@〉
IMG_5169.jpg

今回のコンテストには、初めてテーマが与えられた。
お題は〈夏〉。
私にとっては、一見与しやすそうに見えて、難しいテーマだった。
作るという行為においては勿論だが、
何を作るかという点においても長い紆余曲折はあったが割愛する。
結局、京都・祇園祭の宵山の風景を作るということで落ち着いた。

          ★ ★ ★ ★ ★

まず、祇園祭について一部重大な誤解があるようなので一言言っておくと、
これは、京都東山祗園の花街界隈を舞台にしたお祭りではない。
無論、祗園の芸者は勿論、クラブのホステス、キャバ嬢、スナックのママも登場しない。
何故こんな釘を刺したかというと、事実、そのように勘違いされた方がいたからである。

そもそも〈祗園〉とは、
サンスクリット語の“ Jetavane 'nāthapiṇḍadasya ārāma ”の漢訳、
祇樹給孤独園 (ぎじゅぎっこどくおん) の略。
古代インド、コーサラ国の首都シュラーヴァスティーにあった僧院で、
一般に祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)と呼ばれる寺である。
かつて古典の教科書で一度は目にしたであろう平家物語冒頭の一節、
〈祇園精舎の鐘の声〉の祇園精舎とは、まさにそのことである。

この僧院は、コーサラ国に住む篤志家の富豪が、
同国の王子とともに建て、ブッダに寄進したものである。
主に雨季の修行の場、説法・布教の場として機能した。
この寺の守護神が、
後に京都・八坂神社の祭神となる牛頭天王(ごずてんのう)であると言われている。

この一柱の神は、その信仰の過程で様々な神仏の姿を併せ持つことになる。
所謂、習合神だ。
見た目は、文字どおり牛の頭を持つ巨躯の怪物。
医薬及び衆生の病苦救済を司る薬師如来の仮の姿とされる一方、
蘇民将来説話の神やスサノオ伝説などと結びつき、
疫病・災厄をもたらす祟り神の側面を持つとも言われている。

そうした荒魂の神だが、今日では尊崇の対象として理解されている。
牛頭天王は霊力凄まじき疫病神としての側面もあるが、
丁重に祀れば、無病息災霊験あらたかな御利益が得られるものと解され、
厄除けの神として神聖視されるようになったからである。

この牛頭天王が、現在の京都・八坂の地に祀られるようになったのは、
一説に9世紀、貞観年間のこととされる。
その頃、朝廷のある平安京では疫病が流行。
富士山の大規模噴火、貞観地震と大津波など未曾有の天変地異にも見舞われ、
国土は衰亡の危機に瀕していた。

その勧請された社は、
かつてかの神が守護神を務めたとされる祗園精舎に因み、祗園社と呼ばれた。
そしてその周辺の地は、それを縁起由来として祗園と称するようになった。
京都東山の祗園は、こうして誕生した次第である。

祇園祭の起源も、丁度その頃に遡る。
その厄除け祈願に牛頭天王を祀り、国の数と同じだけの魔除けの鉾(ほこ)を立て、
犠牲者の慰霊と無病息災祈念を兼ねた御霊会(ごりょうえ)を始めたのが、
その起源とされる。
事実、祇園祭は、明治年間まで〈祗園御霊会〉と呼ばれた。

次回に続く


posted by KM at 02:31| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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