2017年07月19日

クリブリコンテスト出品作品(7-2)

前回の続き。

祗園祭は、七月一日の吉符入(きっぷいり)から
三十一日の夏越祓(なごしのはらえ)まで、
一月通して行われる京都・八坂神社の祭事である。
祭りのハイライトは何と言っても山鉾巡行と前夜祭に当たる宵山、宵々山だ。

〈祇園〉祭りと言いつつも、各鉾町は、祇園とは反対の鴨川西岸、
縦の通は堀川通から寺町通、横の通りは御池通から松原通までの間に集まっている。
この界隈は、何処の町にもありがちな、マンションやテナントビルがごちゃまぜに集まるところで、
観光地然とした雰囲気は特にない。
大通りから一本筋を入ると普段は静かな通であるが、
その日ばかりは、細い通にも点々と山鉾が連なり、その間を多くの観光客が行き来する。

かつてこれは十四〜十六日の宵山と十七日の巡行合わせて四日間の儀式であった。
しかし、2014年以降、巡行は二度に分けて行われることとなった。
もっとも、それまでの山鉾巡行は、交通行政上の都合で四日間にまとめられたもので、
本来の祭りの形とは異なっていた。

本来は、長刀鉾を筆頭とする十七日の山鉾巡行とそれに関わる宵山祭事を前祭(さきまつり)、
橋弁慶山を筆頭とする二十四日の山鉾巡行とそれに関わる宵山祭事を後祭(あとまつり)と称し、
二度に分けて行われるのが慣わしであった。
2014年、この年、かつて禁門の変により焼失した後祭の山、大船鉾が復活したのを機に、
後祭の日程も復活することになったのだ。
〈写真@〉
IMG_5467.jpg
〈写真A〉
IMG_5462.jpg
(後祭宵山の大船鉾、いずれも筆者撮影)

          ★ ★ ★ ★ ★

そこで改めて、今回の作品。
〈写真B〉
IMG_5169.jpg

正式には、
〈麗娯京風物四季鑑(れごみやこふうぶつひととせかがみ)より、
後祭宵山圖(あとまつりよいやまず)〉

折角、京都を作るのだから、題は仰々しいくらい和で古風なものを付けたかった。
〈図〉を旧字体にしたのは、そのためである。
将来的に、春夏秋冬、四つの作品で一組のものになるよう、大きな括りとして、
〈麗娯京風物四季鑑)という題を設けた。
この題は、直前に映像で見ていた十八代中村勘三郎の
〈夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)〉に影響されたことは否定しない。

それはともかく、
今回の作品は、題のとおり、祇園祭後祭宵山の光景をレゴで写したものである。
これまでの作品は、例えば前回のロンドンのように、
都市の要素を集約して形にしたもので風景そのものは架空のものであったが、
今回のものは実在の風景である。

今回、モデルとしたのは、
京都市中京区新町六角下ル六角町、北観音山とその会所である。
会所とは、山鉾の保存、管理、運営上の拠り所となる建物のことである。
普段は、京都上上もん屋(〈上上もん〉と書いて〈ええもん〉と読ませるらしい)という、
呉服店だが、祭りの間は会所として機能する。



〈写真C〉
IMG_5489.jpg
〈写真D〉
IMG_5518.jpg
〈写真E〉
IMG_5517.jpg
〈写真F〉
IMG_5523.jpg
(北観音山宵山、いずれも筆者撮影)

その選定条件としては
京都らしい町家と山鉾の組み合わせが美しい場所。
こうした風景なぞ、千年の町・京都なら何処にでもありそうな印象だが、
しかし、以外にないのが実情である。

近世以降、祇園祭を支えていたのは京の町人達で、
その多くは呉服商とそれに関わる繊維問屋であったが、
終戦後、着物の衰退と共に繊維業界自体が衰退してしまった。
それと相俟って、80年代末のバブルの地上げラッシュで、
そうした商業地の土地家屋、店舗が買いたたかれ、
瞬く間に中層階のマンションやテナントビルに変わってしまった。

故に、山鉾町の会所が、
取り立てて工夫もない見てくれのテナントビルの一室であるというのは珍しくない。
町並み保存地区でもないところで
町家と山鉾の並ぶ昔ながらの風景を見つけるというのは、
実はなかなか至難なのである。

発見には、ネットの画像検索を頼った。
いろいろ調べた結果、北観音山界隈の景色に一番情緒を感じたので、
モデルとすることにした次第である。

山鉾と町家。
きちんと作り込めたら、まさに夏らしいものとなるに違いない。
しかし、いざ作るとなると実にハードルの高いネタであった。

次回に続く


posted by KM at 07:12| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

クリブリコンテスト出品作品(7-1)

久しぶりのブログ更新。
前回、2013年制作のコンテスト作品について書いた。
順番ならば、2014年参加分について書くところだが、
今回は順番を違えて、2015年夏のコンテスト参加作品について記述する。

          ★ ★ ★ ★ ★

タイトル:後祭宵山圖(あとまつりよいやまず)
サイズ:20ポッチ(W) x 20ポッチ(D) x 30センチ(H)
制作:2015年・夏
備考:クリブリコンテスト2015 in Summer 第2位入賞

〈写真@〉
IMG_5169.jpg

今回のコンテストには、初めてテーマが与えられた。
お題は〈夏〉。
私にとっては、一見与しやすそうに見えて、難しいテーマだった。
作るという行為においては勿論だが、
何を作るかという点においても長い紆余曲折はあったが割愛する。
結局、京都・祇園祭の宵山の風景を作るということで落ち着いた。

          ★ ★ ★ ★ ★

まず、祇園祭について一部重大な誤解があるようなので一言言っておくと、
これは、京都東山祗園の花街界隈を舞台にしたお祭りではない。
無論、祗園の芸者は勿論、クラブのホステス、キャバ嬢、スナックのママも登場しない。
何故こんな釘を刺したかというと、事実、そのように勘違いされた方がいたからである。

そもそも〈祗園〉とは、
サンスクリット語の“ Jetavane 'nāthapiṇḍadasya ārāma ”の漢訳、
祇樹給孤独園 (ぎじゅぎっこどくおん) の略。
古代インド、コーサラ国の首都シュラーヴァスティーにあった僧院で、
一般に祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)と呼ばれる寺である。
かつて古典の教科書で一度は目にしたであろう平家物語冒頭の一節、
〈祇園精舎の鐘の声〉の祇園精舎とは、まさにそのことである。

この僧院は、コーサラ国に住む篤志家の富豪が、
同国の王子とともに建て、ブッダに寄進したものである。
主に雨季の修行の場、説法・布教の場として機能した。
この寺の守護神が、
後に京都・八坂神社の祭神となる牛頭天王(ごずてんのう)であると言われている。

この一柱の神は、その信仰の過程で様々な神仏の姿を併せ持つことになる。
所謂、習合神だ。
見た目は、文字どおり牛の頭を持つ巨躯の怪物。
医薬及び衆生の病苦救済を司る薬師如来の仮の姿とされる一方、
蘇民将来説話の神やスサノオ伝説などと結びつき、
疫病・災厄をもたらす祟り神の側面を持つとも言われている。

そうした荒魂の神だが、今日では尊崇の対象として理解されている。
牛頭天王は霊力凄まじき疫病神としての側面もあるが、
丁重に祀れば、無病息災霊験あらたかな御利益が得られるものと解され、
厄除けの神として神聖視されるようになったからである。

この牛頭天王が、現在の京都・八坂の地に祀られるようになったのは、
一説に9世紀、貞観年間のこととされる。
その頃、朝廷のある平安京では疫病が流行。
富士山の大規模噴火、貞観地震と大津波など未曾有の天変地異にも見舞われ、
国土は衰亡の危機に瀕していた。

その勧請された社は、
かつてかの神が守護神を務めたとされる祗園精舎に因み、祗園社と呼ばれた。
そしてその周辺の地は、それを縁起由来として祗園と称するようになった。
京都東山の祗園は、こうして誕生した次第である。

祇園祭の起源も、丁度その頃に遡る。
その厄除け祈願に牛頭天王を祀り、国の数と同じだけの魔除けの鉾(ほこ)を立て、
犠牲者の慰霊と無病息災祈念を兼ねた御霊会(ごりょうえ)を始めたのが、
その起源とされる。
事実、祇園祭は、明治年間まで〈祗園御霊会〉と呼ばれた。

次回に続く
posted by KM at 02:31| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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