2017年03月25日

可能な限り美しくヴィネットを制作するために(空間処理編1-3)

前回、視線誘導とは、
一般に〈鑑賞者の視線を自然に絵の中心となる対象に誘導する技法〉と紹介した。

拙作"Miniature Old London(以下、MOL )"にも視線誘導を用いたと書いたが、
こうした小さい作品では、全体が中心という見方も出来るので、
わざわざ中心を強調する必要はない。
ならば、何のために視線誘導を用いたかというと、
それは空間を外部に拡張するためである。
作品の空間を他より広く大きく見せるためには、
見る者に枠の外にも空間が広がっていることを意識、喚起させる必要がある。

より具体的に。
MOLでは、バスやミニフィグを使って空間の拡張を図った(写真@参照)。
こうした小さい作品では、どうしても表現できることが限られる。
必然、狭い空間を如何に無駄なく活用するかが肝となる。
遊んでいる空間があるならば、可能な限り積極的にその空間に意味を与え、
有用なものに変えていかなければ勿体ない。
当然、フィグ一つ置くのも、ただ漫然と賑やかしだけで置くのは罪悪である。
配置一つも可能な限り戦略的に行わなければ勿体ない。

〈写真@〉
MOL.jpg

〈写真A〉
2013.1.18 099.JPG

〈写真@〉は、完成形。この件ではすっかりお馴染みの一枚。
〈写真A〉路上のミニフィグを別角度から写したものである。
〈写真A〉の中、視線誘導を担うのは、向かって左から、
1.白い服の女と、
2.ダービー帽に灰色スーツの男のミニフィグ。そして、
3.ロンドンバス、である。
以上3点で、その詳しい配置は後述する。
なお、木の陰に見えるオレンジ色作業服のミニフィグは、
場を賑やかす目的で入れたものなので、誘導には関係しない。

この三つの要素の配置には、その向きを含め全て意味がある。
ここからは多分に私の個人的見解であり、抽象論である。

          ★ ★ ★ ★ ★

これら三つの要素は、いずれも〈前進する〉という動作を伴っている。
しかし、それぞれの持つベクトルや空間は異なる。

まず第一に、ここでのベクトルとは、
語弊を承知で言えば、単に物理的な意味だけでなく
〈心理的な量的変化を伴う大きさと向きを持った量〉と言えば適切だろうか?

その物理的な意味において。
例えば、出発地Aから目的地Cに向かって進むという動作を考える。
その運動が物理的に一定不変のものであった場合、
過去から現在、現在から未来へのベクトルの大きさは変わらない。
しかし、その大きさは対象によって変化する。
人が徒歩で向かうのとバスとでは、当然、バスの持つベクトルの方が大きいと考える。

次に、その心理的な意味において。
同様に、出発地Aから目的地Cに向かって一定不変の速度で進むとする。
物理的にベクトルの大きさは不変であっても、
心理的には、過去から現在へ至るベクトルより、
現在から未来に向けて前進するベクトルの方が、大きく力強く感じる。

ベクトル図2.jpg

おそらくは、既に終わった行為とこれから始まる行為との差だろう。
言葉の印象から考えてもそうだ。
過去はネガティブなもので、未来はポジティブなものという印象がある。
人は、ポジティブであることに好意的な印象を持つので、
それがネガティブより優位となるのは必然である。

第二に空間について。
ここでの空間とは、そのものがある空間を指す。
例えば、そこに人が一人立っていることで生じる、
その人とその人の意識が作るある種のテリトリーを含む空間を指す。

例えば、人が、出発地Aから目的地Cに向かって一定不変の速度で進むとする。
物理的には、単なる移動する点に過ぎないため、
その空間は常に現在の位置にのみ存在するだけで、過去にも未来にも存在しない。
しかし、心理的には少し異なるように感じる。
来し方の残り香のように、今その場にその存在はなくとも、
何となくそこにいた気配というものは残るものだ。
また、人は進む方向に意識を向けるので、
常に身体よりも先に意識がそちらに前進しているように感じられる。

視線誘導による空間の拡張とは、
こうした印象から受ける感覚を利用したものである。
例えば、空間を設けたい方向にミニフィグの正面を向けてやると、
その方向によりしっかりとした空間が生じる。
逆に背を向けて配置すると、来し方の空間の存在を匂わすことは出来ても、
その印象はその空間に向けて前進する力から得られるイメージに比して、弱いものとなる。

同じ事はバスにも言える。
違うのはエネルギーの大きさで、無論、
人よりバスの方が、力強く空間を前方に押し広げるものと感じられる。
これを応用した結果が、以下である(MOL図面3参照)。

物理的・心理的ベクトルの大小について、以降の図面の中で、矢印の大小で表す。
その大きさは飽くまでイメージであり、某かの計算に基づく類いのものではない。
ご覧の通り、大きければ強く、小さければ弱い。
切り拓いた空間の大きさを水色の円または楕円で表したが、
その大きさはベクトル同様、飽くまでイメージである。

          ★ ★ ★ ★ ★

MOL図面-3b.jpg

そうしたことを踏まえて、
まず、白い服の女のミニフィグから(MOL図面3参照)。

これは、ビル側の歩道上、バス通りに背を向ける形で配置した。
彼女の身体を外に向けることで、あたかも空間が枠外にも続いていて、
そちらに歩いて行くように見せたかったからだ。
同時に、視線を通りの反対に投げかけているように、
顔の正面を身体の向きに対し左に少し開いてやることで、
身体の向かう方向とは別の方向にも空間が広がることになる
(以上、図中、赤矢印(身体の向き)、
   及び、赤破線矢印(視線の向き)参照)。

但し、視線の場合はその度合いの解釈による。
ただ漠然と投げかけただけのものなら、目的が薄弱な分、
視野は広くしかしベクトルは弱いだろうし、
意思ある強い視線なら、はっきりとしたベクトルで強く狭く集中するだろう。
この辺りの違いは、ミニフィグの表情により左右される。

フィグ表情.jpg

例えば上の図、左のオーソドックスな〈ニッコリ〉や、
隣の微笑んだ柔和な表情のものなら、単独でならその視線の先に配置するもの次第で、
印象は変わる。微笑む先に別のフィグがあれば、それはそこに集中したものだろうし、
何も無ければ割と漠然とした広い視野になる
しかし、右の二つのヘッドは、明らかにその視線が一点に集中している。
睨み付けるのは、明らかにその視線の先の一点に特定の不快な人、
または出来事が展開しているからであり、
驚くのもまた、当然、その視線の先にそういう出来事が展開しているからである。
いずれも、自ずと狭い視野となる。

今回、女性のミニフィグには、楽しげな表情のものを使い、
視線の先の空間を定まりにくくした。
見ている何かを漠然としたものにすることで視野は広く確保できるからだ。

次に、灰色のスーツの男。
私は彼の手足に動きを付けることで、歩くという動作を与えた。
彼は、この空間に突然降って湧いたわけではない。
この男は、手前から奧に向かって青信号の横断歩道を渡っている(図中、青矢印参照)。
こうすることで、枠外手前にも連続する空間があるように装った。
しかし、先に書いたとおり、手前の空間を印象づけるには弱い。
彼の役目は、その動作を通じて、バスは前進していると鑑賞者に印象づけることにある。

第三に、バス。
後の話に関わるので書いておくと、
まず、バスの持つベクトルの向きは固定である。
即ち、奧から手前へというベクトルで、初めからこの向きで配置するつもりでいた。

ところで、スーツの男同様、このバスとて、突然、この空間に降って湧いたわけではない。
このバスは、当然、奧から走ってきたわけだが、しかし、ミニフィグのように、
その動作を喚起することは難しい。
ヴィネットは言わば静止画である。
そのバスが止まっているのか、動いているのか区別するためには、
別の動きと組み合わせてその違いを生み出すしかない。

今回、その違いを生み出す役目を担ったのが、
先のスーツのミニフィグである。
彼が手前から奧に向かって青信号の交差点を歩いて行くことで、
すれ違ったバスもまた青信号を奧から手前へと駆け抜けるものと想像される。
この動作が生じることで、ミニフィグでは匂わせることしか出来なった枠外手前の空間が、
バスの前進する力によって強力に押し広げられ存立することになる
(図中、黄色矢印参照)。

最後に、建物。
建物の左右の空間の広がりは、こうした周辺の人やバスの運動によってもたらされる
(図中、灰色矢印参照)。

          ★ ★ ★ ★ ★

ところで、配置した二体のフィグは、いずれもこちらに背を向けている。
身体の向きを逆にした方が顔や服のデザインが見えていいのでは?
と、思われるかもしれないが、
これらのフィグは、先述のとおり、それぞれやはりベクトルを持っている。

MOL図面-4b.jpg

故に例えば上の図(MOL図面4参照)のように、二体とも内側を向いて配置したとすると、
前進する強いベクトルは揃って作品の内側に向かってしまうことになる。
そうすると、作品が内向きに強く収縮してしまうようでいただけない。
たとえ、白い服の女のフィグの目線を外に外したとしても、
バスが切り拓く空間とバッティングするので、それもいただけない。

MOL図面-5.jpg

かといって、上の図(MOL図面5参照)のように全て外向きに配置してしまうと、
今度は外向きのベクトルが強く出すぎて、厚かましい画面となってしまう。
特に、バスとミニフィグの進行方向が同じであると、
それぞれが互いに存在を強烈に主張しあうことになるので、目にうるさい。

MOL図面-6.jpg

同様に、女性のミニフィグを内向きに、
スーツの男のミニフィグを外向きにするのもありかもしれないが、
これでは左奥の空間の拡張が弱くなり、同時に手前の広がりが混みすぎて、
やはりうるさくなってしまう。

故に、バランス良く、空間を自然に拡張するには、
現行デザインが一番安定していると私は考える。

          ★ ★ ★ ★ ★

最後に今回の総括として。
「どうすれば上手く作れますか?」に対する回答として、

1、狭い空間をどう効率よく使うか、まずは出来る限り深く考えること。
2、ミニフィグも空間を有効活用する道具として計画立てて配置すること。
そして、
3、レゴ以外の持てる技術や知識、感覚で、工作に応用できるものは可能な限り、
余すところなく使うこと。

もっとも、以上のような私の目論見について、一々、現場で鑑賞者に対し説明したりはしない。
故に、配置の意図が、正しく彼らに伝わっているかどうか定かではない。
ここに書いたことでさえも、読者に響いたか定かでない。

ならば、そんなにこだわらなくても変わらないのではないか、と思うかも知れない。
が、
〈どうせ気づかないだろうからやらない〉のと、
〈気づかないかもしれないが、やれることは可能な限り全部やる〉のとでは、
結果が異なると私は考えている。

宝くじは買わないと当たらない。
効果があるのか無いのか判らない細かい工作でも、
作品を見た100人の中、1人でも、
他の作品より空間が広く大きく立派に見えたというなら儲けもの。
それで十分である。

本当に上手く作りたいと思うのなら、
今一度、自分の作品に隙がないか、
もし隙があると感じるなら、それを埋めるべく何が出来るのか、
もう一段深く考えることをお勧めしたい。
作品に、完成はないのです。


posted by KM at 07:32| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

可能な限り美しくヴィネットを制作するために(空間処理編1-2)

前回の続き、

視線誘導とは、絵画や彫刻に用いられる技法で、
多くの場合、描かれた人物の目線や動作などを介し、
鑑賞者の視線を自然に絵の中心となる対象に誘導する技法である。

例えば以下の作品は、16世紀スペインの画家、
ビセンテ・フアン・マシップの描いた『最後の晩餐』である。

フアネス「最後の晩餐」.jpg
(画像入手先→GAHAG 著作権フリー写真・イラスト素材集)

この視線誘導は非常に判りやすい。
画面中央に座し、ホスチアと呼ばれる無発酵パンを掲げるイエスに
全ての視線が集まっている。
いや、正確には、後列向かって右から四番目の聖小ヤコブだけ、
隣の聖トマスに視線を投げかけているが、
しかし、その人差し指はしっかりとイエスを差している。
「あれを見よ」と、彼に語りかけているようだ。

宗教画というのは、文盲者でも聖書の中身を理解出来るよう描かれているため、
しばしばこうした芝居がかった露骨な視線誘導が用いられる。
ちなみに、後列一番右端の聖フィリポは、左手を開いて掲げている。
掌の向いた先は手前の黄色の衣の男。
この男こそ裏切り者、イスカリオテのユダである。
とすると、手の動きの意味が見えてくる。
彼の手の意味は制止、または拒絶ではないか?
「裏切り者のお前には関係ない」
或いは、鑑賞者に対し、
「この者は憎むべき背教者である。関わってはならない」
と訴えているようだ。

しかし、稀に、単に誘導するだけでなく、
鑑賞者を作品に参加させるツールとして機能させることもある。

          ★ ★ ★ ★ ★

例えば、以下の作品は、
17世紀イタリアの画家グエルチーノが描いた
〈スザンナと長老たち〉という作品である。

スザンナと長老たち.jpg
(画像引用元→グエルチーノ(Wikipedia日本語版)

ご覧のとおり、いい年をしたお爺さん達が年甲斐もなく、
スザンナという若い娘の沐浴を覗き見するという作品である。
品のない画題だが、これでも聖書の一節をモティーフとした
立派な宗教画である。

まず判りやすいのは、下の屈んでいる長老の視線。
その延長線上には裸のスザンナがいて、
彼女の姿を身動ぎもせず凝視しているのが判る。
まさに覗きの現行犯、その緊迫した瞬間である。

さて、もう一人の長老はどうか?
こちらは彼女とは反対側に目を向け、
人差し指を立て、「静かにしろ!」と必死の形相で誰かに訴えかけている。
しかし、その相手は画面に描かれていない。
では、彼は誰に訴えかけているのだろうか?

それは、彼の視線を額縁の外にまで延長するとよく判る。
訴えている相手は、こちら。即ち、今まさに鑑賞中の〈私〉である。
これは視線誘導を利用した、作者の巧みな罠である。
即ち、鑑賞者を覗きの共犯者として作品に巻き込み、
その彼若しくは彼女の持つ、うしろめたさや下衆な根性を喚起し、
覗き行為の臨場感や緊張感を煽る。
−そういう罠が、この絵には仕掛けられているのである。

          ★ ★ ★ ★ ★

こうした誘導の技術を作品に取り入れる。
随分長い導入になってしまったので、
次回に続く。
posted by KM at 11:35| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

可能な限り美しくヴィネットを制作するために(空間処理編1-1)

クリブリコンテストのレギュレーションは、
20ポッチ x 20ポッチ x 30センチ という、箱形の空間である。
歪とまでは言えないが、高さがあるわりに底が狭く、
今一つ使い勝手の悪い空間であることは間違いない。
この狭小な空間の演出は、毎年頭痛の種であった。

しかし数をこなすうちに、
こうした空間を美しく彩るコツを掴んだことは確かだ。
自画自賛というのは、なかなか以て愚かしい振る舞いだが、
そうと承知の上で敢えて申せば、
前回掲載の"Miniature Old London(以下、MOL)"という作品は、
私がこれまで作ったものの中で最も美しくまとまった作品であると自負している。

クリブリコンテスト出品作品に関する連載は、もともと、
私の作品をご覧になった方からの、
「どうしたら上手く作れますか?」
という問いに答えるために始めたものである。
なので、今回は、こうしたヴィネット作りの上で私が学んだ、
やっていいこと/悪いことをMOLを作例に一渡り書いてみたいと思う。

          ★ ★ ★ ★ ★

私が作品を作る前に考えることは、当然まず作品全体の構図である。
この時、並行して、如何に作品の空間(或いは規模)を
実際より広く大きく見せるかも考える。
当然、MOL制作の現場でもそうだった。
これは、特にコンテストの現場では大事なことだ。
皆同じサイズで作る以上、他より目立たせたいと考えるのは当然である。
では、その中で違いを際立たせるには、どうしたらいいだろうか?

ひとまず必要な要素をどう配置するか決め、敷地を適宜分割する。
その結果が、以下の図面である。
MOL図面-1.jpg
二本の道路が直交する角地を舞台とする。
この規格でいくつかやってみて判ったのは、
簡単に美しく作るなら角地だ、ということである。
では、何故、角地なのか?

以下の写真は、この作品の完成形だが、
背景に、高さ30センチのビルがドンと聳え立つ。
MOL.jpg
建物自体は大きく見えるが、しかし、
実際の敷地面積は上の図面のとおり10 x 12ポッチ分しかない。
意外に狭く、縦に細長い建物なのである。

では、その建物が、何故大きく立派に見えるかというと、
それは、作品の『正面』を以下の図のように敷地の対角線上に設けたからである。
『正面』とは、その作品が一番美しく見える面をさす。

MOL図面-2.jpg
その昔、三平方の定理で習ったとおり、
二等辺直角三角形の三辺の比は、以下のように、
1:1:√2(≒1.4)。
直角三角形.jpg
当然、斜辺の方が他の二辺より長い。
故に、斜辺を正面とすると、
短辺を正面とするより空間を広く見せることが出来る。
事実、この作品の場合、単純計算で対角線の長さは約28ポッチ。
短辺20ポッチを正面とするより、約8ポッチ分画面が広がったことになる。
同時に、こうすることで、面はハの字形に開く。
この時に角地にした理由が効いてくる。

角地の建物の奥行きは左右二方向に、より立体的に流れるので、
実際の建坪より、遥かに大きな建物として目に映ることになる。
同時に空間も左右二方向に流れるように広がるので、
全体的に実際より広々として開放的に見えることになる。
これが例えば、バス通りに面して目一杯の幅で建物が建っているとすると、
建物で空間の広がりが遮られることになり、狭苦しい印象を与えることになる。
また、本来なら隣の建物で見えないはずの妻面が露出することになり、
無粋な印象を与えることにもなる。
角地ならば、正面から見る限り、そうした汚らしい断面は見えないので、
空間を美しく保つことが出来る。
これらが角地の利点である。

こうすることで、他の作品と同じ規格でありながら、
他より大きな画面で美しく作品を見せることが出来る。
もっとも、このやり方はMOLに限ったことではない。
斜めから覗き込んだときに美の本領を発揮する画面作りは、
2010年のコンテスト以降、繰り返し用いている。

          ★ ★ ★ ★ ★

とはいえ、
上の如きやり方は、実のところ特にドヤ顔で語るほどのものでもない。
こうした作例は、私の作品に限らず、
他の入選者の作品にも見ることが出来るわけで、決して珍しい画面作りの手法ではない。
実は、ここからもう一つ踏み込んで、私なりにやったことがある。
それは鑑賞者の視線を誘導して、空間を外に拡大・拡張するという方法である。
(次回に続く)
posted by KM at 12:14| Comment(0) | 作例研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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